フロンティアを楽しむ
日本では、日銀が金融政策の目標を決める一方で、日銀を国民がガバナンスする仕組みが存在しない。
したがって、日本でも、政府が日銀の達成すべきインフレ目標を決定し、日銀を国民がガバナンスする仕組みを作れば、日銀の金融政策は国民に信頼されるようになり、その結果、日銀の金融政策の成果も格段に改善されると予想される。
なぜならば、インフレ目標採用国の中央銀行が世界中の中央銀行の中で抜群に良い成績を上げてきた最大の理由は、その金融政策が国民に信頼されているという点にあるからである。
国民に信頼されない金融政策が成功するはずはないのである。
以下の章では、以上の点を、順を追って説明していきたい。
日本では、日本銀行の金融政策について、国民の関心はそれほど高くないようである。
国民は日銀総裁や日銀の金融政策を決定する審議委員などが、どのようにして選ばれるのかを知らされていない。
しかし、日銀の金融政策は、預金金利をはじめとする諸金利、株価、地価、さまざまな国の通貨と円の交換レートなどへの影響を通じて、成長率や物価や雇用などに大きな影響を及ぼす。
ところが、国民は政治や財政政策ほどには、金融政策に関心を持たず、日銀総裁に誰がなったかという程度の話には関心を持っても、金融政策は難しくて敬遠しがちである。
日銀は1998年4月に施行された新日本銀行法によって、金融政策の目標の設定とその目標を達成する手段の両方について、独立して決定する権限を与えられた。
それにもかかわらず、金融政策を決定する日銀総裁をはじめとする政策委員会のメンバーは、金融政策に失敗しても、責任を問われて辞職する必要がないように、厚く身分が保証されている。
それに対して国会議員などの政治家は、選挙民から評価されなければ、選挙で落選するというリスクを負っている。
現在の日銀はこうした本来は深刻であるはずの問題を抱えているが、その状況を変えようという動きはいまのところ見られない。
そこでここででは、日銀がどのような組織であり、これまでどのような金融政策を運営してきたかを検証し、日銀の金融政策の成果を高める改革の方向を探りたい。
そのために、ここでは、日銀とはどんな組織で、どんな人が金融政策を決定しているのかを調べてみよう。
はじめに、どんな人が日本銀行のトップである総裁になるのかを調べてみよう。
日銀の初代総裁はYである。
Yの総裁在任期間は1882年10月から死亡するまでの約5年間で、前職は大蔵少輔(現在の財務事務次官に相当)であった。
それ以後、日銀総裁には3菱財閥系のビジネスマンか大蔵省出身者が就くのが慣例になった。
日銀生え抜きの総裁第一号はIである。
Iは1919年からの約4年半と一927年からの約1年間、2度にわたって総裁を務めた。
戦後は、17代から30代(2009年現在)まで13名が総裁に就いている。
そのうち、Aは17代と19代の2度、総裁を務めた。
出身大学を見ると、U(慶応義塾大学)と速H(東京商科大学予科・現一橋大学)以外はすべて東京(帝国)大学である。
Uが民間人(3菱銀行頭取)でありながら日銀総裁になったのは、病気のために退陣を余儀なくされたI首相が、後継首相のSに、次期日銀総裁をUにするようにと申し送ったことによるといわれる。
Iは日本に高度成長をもたらした首相だった。
高度成長の原動力は民間活力だった。
おそらく、Iは民間人を日銀総裁に起用することによって、それまで法王庁といわれた日銀の閉鎖性に風穴を開けようとしたのであろう。
一方、Hの場合は、H日銀副総裁が、M日銀総裁の後継として本命視されていたにもかかわらず、一連の大蔵省・日銀の接待スキャンダルの責任をとってMとともに退任に追い込まれたための人事であった。
このスキャンダルが発覚して世論の批判を浴びている最中に、大蔵省出身者や日銀副総裁を日銀総裁に推すわけにはいかなかったのである。
Hは日銀出身者であったが、日銀時代、国内のスキャンダルからほど遠い外国畑を歩き、日銀の本流ではなく、副総裁も経験していなかったことが幸いした。
H以外で総裁になった日銀出身者はすべて副総裁経験者である。
UとHのような特殊事情を除くと、戦後の日銀総裁は東大卒で固められている。
東大卒のうち、YとS(2009年現在の日銀総裁)だけが経済学部卒で、それ以外はすべて法学部卒である。
Yは東大経済学部卒の大蔵事務次官だったが、大蔵次官は東大法学部卒から選ばれるのが普通である。
したがって、山際の大蔵次官は大蔵省としても例外的な人事といえ、それだけ、大蔵官僚として有能だったということであろう。
一方、Sの場合は、M日銀副総裁(前職は財務事務次官。
Mの大蔵事務次官在任中、大蔵省は財務省に改称された)とT元大蔵事務次官がともに野党の反対にあって、日銀総裁就任に必要な国会同意が得られなかったため、急きょ、副総裁から総裁に格上げされたものである。
以上のような例外、または、特殊事情を除くと、日銀総裁になるための条件は「東大法学部卒業」である。
この条件は財務省(旧大蔵省)の事務次官人事と同じである。
2008年7月に財務事務次官に昇進したSは、東大紛争で東大入試がなかったため京都大学に入学したが、翌年東大法学部を受験して入学し直したほどである。
財務省官僚のトップを目指すには、東大法学部卒業が必須の条件なのである。
さらに、日銀副総裁経験者と大蔵事務次官経験者が「たすき掛け」で(交互に)日銀総裁になる慣例が続いたことが分かる。
どちらがなるにせよ、東大法学部卒である。
この「たすき掛け人事」は1998年4月に新日本銀行法が施行されて、日銀が政府かなぜ、東大法学部出身者が日銀総裁になるのか例外的な事情がない限り、日銀総裁になるのも、財務事務次官になるのも、東大法学部卒である。
それだけではない。
例外的事情がない限り、東大法学部卒でも日銀総裁になれるのは、トップの成績で日銀に入行した人である。
これは財務事務次官も同じで、東大法学部を卒業してトップの成績で財務省に入省した人が財務事務次官になるのが普通であらの独立を確保して以来崩れ、Hから3代続いて日銀出身者が総裁になった。
財務省はH日銀総裁の退任に際して、「たすき掛け人事」の復活を狙って、財務事務次官経験者のM日銀副総裁を総裁にしようとしたが、野党の「財務省出身者はダメ」という理由による反対にあって成功しなかった。
Mがダメならと、財務省が代わりに推したT元大蔵事務次官も同じ理由で日銀総裁になれなかった。
このように、東大法学部を首席級で卒業した人の中から、将来、金融官僚のトップである日銀総裁と行政官僚のトップである財務事務次官になる人が選出される。
これが日本の中央銀行、中央の行政機関及び政府関係機関(日本政策投資銀行宿日本開発銀行〜など)などのトップ人事の特徴である。
日銀にせよ、財務省にせよ、その仕事の多くは経済にかかわることである。
それにもかかわらず、経済学部卒が日銀総裁や財務事務次官になるのは、東大法学部卒がなることに何らかの支障がある特殊な場合に限られる。
何故そうなるのであろうか。
その理由はつまびらかではないが、おそらく、日銀も財務省も「前例主義」を原則とする官僚組織であるからであろう。
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